映画界の大女優・吉永小百合さんが、なんと80歳にして人生初のピアスを開けたというニュースが話題になっています。
吉永小百合さんのこの決断と行動には実在の登山家・田部井淳子さんの生き方が深く関係しているようです。
今回は、その意外な背景とともに、吉永さんの映画に込めた思いや田部井さんの信念に迫ります。
吉永小百合がピアス?

2025年、女優・吉永小百合さんが主演する新作映画が話題を呼んでいます。
清楚で控えめなイメージを持つ吉永小百合さん。
そんな彼女が人生初のピアスを開けたというニュースは、多くの人に驚きを与えました。
実話をベースとして本作を撮った阪本監督が「純子にアプローチするために、今回吉永さんは田部井さんと同じピアスを同じ位置に開けたんです」と明かすと、吉永は「今日もつけてきました。本物の田部井さんのピアスです」とピアスを披露。
引用:music voice
吉永小百合さんが80歳にして“人生初のピアス”を開けてまで挑んだものはなんだったのでしょうか。
吉永小百合さんの役は、エベレスト登頂を成し遂げた女性登山家・田部井淳子さん役です。
本記事では、吉永さんが挑んだ新たな一歩の背景にある映画への思い、そして田部井淳子さんの生きざまとの重なりを深掘りしていきます。
ピアスを開けたのは、映画の役作りのためであり、吉永さんの“女優としての責任感”が、その決断を後押ししました。
気合のピアスだ。124本目の出演作にして初の登山家役。16年10月に77歳で永眠した田部井さんの遺品の中にピアスがあるのを知った吉永は覚悟を決めた。
・・・その耳には田部井さんの家族から贈られたピアスが光っていた。
引用:Yahoo ニュース
下の動画で、吉永小百合さんが、ピアスを開けるに至った経緯や映画に取り組む覚悟など語っておられます。
田部井淳子さんは吉永小百合さんのTBSラジオ番組に出演されたこともあります。
小百合さんは、その時の録音を聞きながらこの映画を通して田部井淳子さんをどのように私たちに伝えるかを常に考えておられます。
吉永小百合さんの役者魂に感服です。
映画への思い

吉永小百合さんが今回演じるのは、戦後の混乱期を生き抜いた登山家の女性です。
吉永小百合さん自身80歳になりました。
登山に例えると8合目くらいと言っておられる吉永小百合さんはこの映画にはどのような思いで臨まれのでしょうか。
彼女がこの役にどんな思いを込めたのかも注目されています。
登山家役は初ながら、12年には田部井さんと対談経験もあるという吉永は「明るくて、楽しいお話をいっぱい聞かせて下さいました」と当時を振り返り、「今、私は、『せかいのおきく』という素晴らしい映画を創った阪本監督のもと、『世界の淳子』役に全力で挑戦します」と意気込んだ。
2人は2012年にラジオ番組で対談しています。
吉永小百合さんはその時の印象について「話していても力強さにあふれていて、なんてすてきな方なんだろうと思い、ファンになった」
とおっしゃっていました。
こちらの動画は撮影現場の様子を伝えています。
本当に山の上まで登ってますが、山の上での撮影は風が出てきて寒そうです。
吉永さんはこの作品に、「若者へ希望を伝える力」があると確信し、情熱を込めて演じています。
吉永さんは舞台挨拶で「この作品を通じて、困難を乗り越える勇気を届けたかった」と語っています。
吉永さんは「今の若者に必要な何かをこの映画が届けてくれる」と信じて出演を決意されたのだそうです。
登山シーンは実際に登山して撮影されたとのことです。
80歳とは思えない体力にスタッフ一同驚いたという逸話ものこっています。
吉永小百合 高峰3000m級ロケ 登山家・田部井淳子さん役「『世界の淳子』役に全力で挑戦」
登山家役は初ながら、12年には田部井さんと対談経験もあるという吉永は「明るくて、楽しいお話をいっぱい聞かせて下さいました」と当時を振り返り、「今、私は、『せかいのおきく』という素晴らしい映画を創った阪本監督のもと、『世界の淳子』役に全力で挑戦します」と意気込んだ。

田部井淳子さんは1975年の世界最高峰・エベレストのみならず、生涯で76カ国の山々の最高峰、最高地点の登頂に成功。
この動画で吉永小百合さんが本作品にかける思いを知ることができます。
しかし、田部井淳子さんは2007年に乳がんが発覚しました。
それでも闘病、余命宣告を受けながらも2016年に亡くなるまで登頂に挑戦し続けた人物です。
ロケの様子を伝える記事も複数上がっていたので引用します。
いかに吉永小百合さんが本作品に全力で取り組んでいるかが分かると思います。
撮影は今月18日にスタートし、難役に真っ正面から向きあっている。3000メートル級の高峰ロケに備え、吉永は水泳や、都内にある登山研修施設での低酸素運動を実施するなど、“山登りトレーニング”を敢行。共演者やスタッフも同行し、チーム一丸となってストイックに役作りへと励んできた。
田部井淳子の生きざまに迫る

吉永さんが参考にしたと言われる実在の登山家・田部井淳子さんとはどのような人物だったのでしょうか?
田部井さんは「女性初のエベレスト登頂者」として知られ、困難に立ち向かい続けた“挑戦の人”でした。
1975年、日本人女性として世界で初めてエベレスト登頂。
その後も高齢になるまで世界の山々に登り続け、ガンと闘いながらも生涯現役を貫きました。
「弱音を吐いてもいい。でも前に進みたいなら、もう一歩踏み出すことが大事」
などの名言の数々を残しました。
闘病中も東北の子どもたちの登山教室を続け、最後まで「生きる力」を若い世代に伝えようとしました。
吉永さんは田部井さんについて「生き方そのものが美しい」と感銘を受けていたと語っています。
また、ご主人の田部井政伸さんは人生のパートナーとしての淳子さんをどのように見て、接してこられたのかを見て行きたいと思います。
以下の記事には、田部井政伸さんが著された『てっぺん』の中で語られる妻淳子さんのいきざまが書かれています。
本の中には、登山愛好家としての田部井政伸さん自身の生い立ち、登山の時だけでなく人生のパートナーとなった淳子さんとの出会い、一緒に歩んできた登山人生について、また、淳子さんがガンの告知を受けてからの闘病生活、亡くなってからの日々などが書かれている。
引用:山と渓谷オンライン

まとめ
吉永小百合さんがピアスひとつの決断に、ここまで深い意味が込められていたとは意外だったのではないでしょうか?
吉永小百合さんは、80歳にしてなお「役と真摯に向き合う姿勢」を貫き、その背中は田部井淳子さんの精神とも重なります。
映画という表現を通して、彼女は「生きる力」や「挑戦する心」を次世代へ届けようとしていることがわかったと思います。
その姿は、年齢を重ねてもなお進化し続ける“表現者”の生きざまです。
田部井さんがトレーニングしていた埼玉・日和田山でも撮影が行われました。
吉永小百合さんは「報告のためにまた山に行きたい」と話したそうです。
自身の俳優人生を登山に例えると「8合目くらいでしょうか。頂上まで行けるかどうか分かりませんが、一歩ずつ歩いていけたら」
と前を向きました。
今年は田部井さんのエベレスト登頂から50周年の節目です。
10月31日に公開されますが、来年がエベレスト登頂から50周年となることから、今作の公開が決定しました。
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