日本映画界のレジェンド・吉永小百合さんが、なんと80歳にして新たな挑戦に向かっています。
彼女が演じるのは、世界の頂を極めた登山家・田部井淳子さん。
これはただの伝記映画ではなく、生き方に深く共鳴する「魂の共演」とも言える一作です。
この記事では、田部井さんの実話や名言を通じて、その魅力に迫ります。
吉永小百合が田部井淳子役で映画主演?

2025年5月、日本を代表する女優吉永小百合さん(80歳)主演の映画完成報告会見が行われ、大きな話題となっています。
これは吉永さんにとって「人生の集大成」とも言える挑戦であり、田部井さんの生き方に強く共鳴したことが出演の決め手となりました。
吉永小百合(80)の主演映画「てっぺんの向こうにあなたがいる」(阪本順治監督、10月31日公開)完成報告会見が13日、都内で行われた。
吉永にとって、124本目の映画となった今作で、12年「北のカナリアたち」以来13年ぶりに再タッグを組んだ阪本順治監督(66)
引用:日刊スポーツ
吉永さん自身、「田部井さんの信念と行動力に勇気をもらった」と語っており、特に“年齢を言い訳にしない生きざま”に深く感銘を受けたといいます。
実際、田部井さんもがんを患いながらもヒマラヤ登山を敢行するなど、驚異的な精神力で知られています。
この映画のクランクインは2025年夏でした。
吉永さんはこの役のために本格的な山岳訓練を受けており、過酷なロケにも意欲的です。
初めて登山家を演じた吉永は「朝早く家を出て、栃木で撮影してその足で富士山に行くということもあった」と過酷な撮影を振り返った。
引用:中日スポーツ
また、吉永小百合さんが「80代で初めてピアスを開けた」ことも下の動画で語っており、話題となっています。
吉永小百合さんのこの映画にかける思いが伝わりますね。
田部井淳子の実話

田部井淳子さんといえば、「女性で初めてエベレスト登頂を果たした登山家」として世界的に有名です。
そこに至るまで道のりは決して平坦なものではなかったのではないでしょうか。
田部井淳子さんの歩いた実際の道のりをたどってみたいと思います。
彼女は「女性」ということで3歳の娘さんを置いて家を空ける、しかも登山!
外国?
それもエベレスト?
普通では考えられない無謀ともいえる大胆なことを成し遂げた方です。
下の動画は田部井淳子さんが女性で初めて「エベレスト」の頂上に登ったときのことが語られています。
1975年、日本人女性だけで構成された「日本女子登山隊」の一員としてエベレストに挑戦。
当初は「女に登れるわけがない」
と揶揄されましたが、見事に登頂成功。
世界初の“女性エベレスト登頂者”として歴史に名を刻みました。
動画:「登山家・田部井淳子の軌跡 粘り強さと好奇心で世界初の偉業を成し遂げる 伝えたかった「生き抜く力」《もっと!ぐっと!三春町》」
そもそも田部井淳子さんがどうして山登りに興味を持ったり世界最高峰と言われるエベレストに挑んだりしたのでしょうか。
男性社会と言われた登山界で、田部井さんは偏見や困難に立ち向かいながら、自らの信念を貫き通してきました。
登頂中には高山病や吹雪などのトラブルもありましたが、田部井さんは一歩一歩前に進むことだけを考えていたといいます。
「あきらめなければ、夢はかなう」という彼女の行動こそが、多くの人々の希望となりました。
そのような田部井さんの生き方は私たちにたくさんの勇気や感動を与えたことは言うまでもありません。
田部井さんの著書のあちこちに体験から得た「人生訓」が語られています。

病気は「生きている証」、だからなくなるぎりぎりまで登山活動を続けることで周囲に「生きる意味」を発信し続けられました。
こんな田部井淳子さんを演じる吉永小百合さんの演技も見どころですね。
吉永小百合さんは田部井さんを演じるために80歳にして田部井さんの生き方そのものを演技に取り入れたことが記者会見やロケ情報などでうかがい知ることができます。
田部井さんの人生は、登山という枠を超えて、老若男女すべての人に響く“生きる哲学”を体現しています。
彼女の名言には、人生のどんな局面においても前向きに生きるヒントが詰まっています。
田部井さんは60代以降も「世界の七大陸最高峰登頂」を成し遂げ、がん闘病中にも東日本大震災の被災地を励まし続けました。
こうした行動の根底には、「今を生きることの尊さ」があります。
また、山岳環境保護団体・HAT-Jの代表を務め、東日本大震災後は被災地支援活動にも積極的に参加しました。
特に「東北の高校生の富士登山」プロジェクトでは、被災した高校生たちを富士山に登らせることで、彼らに自信と希望を与えました。
田部井さんのご子息、進也さんは、「登るの、うざったい」と言い出す高校生に対して、「自分で申し込んだんだろ。ここは学校じゃない、大人をなめるなよ!」と叱咤し、全員が登頂を果たしました。
特に「東北の高校生の富士登山」プロジェクトでは、被災した高校生たちを富士山に登らせることで、彼らに自信と希望を与えました。
田部井淳子の生涯・名言

田部井淳子さんはその好奇心と実行力の生涯において数々の名言を残されていますね。
代表的な名言です。
「年齢は数字にすぎない。やりたいことがあるなら、いつだって挑戦できる」
「一歩一歩を重ねていけば、必ず山頂に近づく」
これは登山と人生を重ね合わせた言葉です。
困難な状況でも、諦めず少しずつ進むことの大切さを伝えています。

田部井淳子さんは、たくさんの本も出しておられます。
それらの著書の中でも多くの示唆に富むメッセージを発信してこられました。
「体力は落ちても、気力と工夫で補えばいい」
「私は“女性だから”という理由であきらめたくなかった」
登山が「男性の世界」とされていた時代に、自ら道を切り拓いてきた田部井さんの信念を表しています。

「登山が女性の社会にも」と言いたげな本の題名ですね。
「山に登ることは、命を大切にすること。生きて帰ってくることが一番大事」
危険をともなう登山においても“生きる”ことを最優先に考えていた彼女の哲学が込められています。
これらの田部井淳子さんの言葉は、読む人の背中をそっと押してくれるような力がありますよね。
この動画は地元のテレビで田部井淳子さんのことが報じられたときのものです。
「私が一番伝えたかったことは、生き抜く力だとおっしゃっています。
地元の歴史民俗資料館には、田部井さんの展示コーナーもありましたが、三春町に「田部井淳子記念館」が開館するということで今後はそちらで田部井淳子さんを感じることができるようになるそうです。
小学校4年生の時に初めて栃木県の茶臼岳に登り登山の魅力にはまったと言われます。
77歳で亡くなる数か月前まで病と共に生きてこられた彼女の生涯から学ぶ生き抜く力や諦めない気持ち、ひとことひとことが勇気や希望を与えてくれます。

まとめ
田部井淳子さんを語るには本記事ではあまりにも短く断片的だと思いますが、いかがでしたか。
その主人公を演じる大物女優の吉永小百合さんの登場にもびっくりしました。
話題満載のこの映画は今年10月31日封切と聞いています。
田部井淳子さんの挑戦と信念、そして吉永小百合さんがその生涯を演じるというニュースは、単なる芸能の話題にとどまりません。
この映画を通して私たちも「年齢を重ねても挑戦はできる」「人生は何歳からでも輝ける」という強いメッセージを胸に、山を登るように、一歩一歩、自分の人生を切り拓いていけたらいいなと思います。
コメント