「ちょっちゅね〜」のユニークな言動と明るいキャラクターで、バラエティ番組でもおなじみの具志堅用高さん。
しかし、彼の本当の姿は、日本ボクシング界に燦然と輝く“伝説の男”です。
世界王者として13度の防衛を成し遂げ、その偉業は今も多くのファンの心を打ち続けています。
そんな具志堅用高さんが、ついに“銅像”という形でその功績を称えられることに・・・!
具志堅用高が銅像になったワケ?

出典:NEWSポストセブン
具志堅用高さんが銅像として称えられることになった背景には何があるのでしょうか。
- スポーツ選手としての偉業
- 人としての魅力
- 地域社会への貢献
スポーツ選手としての偉業
彼が銅像になった最大の理由は、やはり日本人として最多の13回連続世界タイトル防衛という、前人未踏の記録を打ち立てたことにあります。
多くのファン、関係者にとって、プロキャリアわずか9戦目の挑戦者・具志堅が見せるボクシングは衝撃だった。来日以来、スパーリングパートナーをとっかえひっかえダウンさせた強打のチャンピオン フアン
引用:Sportiva
人としての魅力
具志堅用高さんの栄光の陰には、厳しいトレーニングをひたむきに続けた努力と、勝利のために自分を律し続けた強い信念がありました。
しかし、勝ったとしても決して威張らない、周囲に感謝を忘れず、どんなときも笑顔を絶やさなかった姿は、多くの人の心に深く刻まれています。
同じボクサーだった赤井さんと渡嘉敷さんに具志堅さんの人となりを語ってもらいましょう。
40年経っても変わらないボクサーの“絆”具志堅用高の背中を追いかけた【渡嘉敷勝男・赤井英和】
そして具志堅の究極の能力は、心のなかにある。凍てついた心のままに煮えたぎる闘志を操れた。対戦相手の動向、状況を、しっかと目を見開いて追いかける。一瞬のスキ、ダメージの色を見きわめ、即座に理詰めの連打で追い立てた。引用:Sportiva
“後輩”渡嘉敷勝男・赤井英和に『具志堅用高とは?』と聞いてみた【本人不在】
地域社会への貢献
銅像が建てられたのは、彼の故郷である沖縄県石垣市。
「沖縄のためにいつも頑張ると思っていた」など、この地で生まれ育ち、後に世界を舞台に大活躍した具志堅さんは、今なお地元の人々から「誇り」として慕われています。
具志堅さんは引退後も、沖縄の地域活性化や青少年育成に力を入れてきました。
具志堅用高「120%沖縄のため、石垣島のために戦っていた」
、その功績を称える形で、地元・石垣市の新栄公園に彼の銅像が設置され、多くのファンや地元住民がその除幕式に集まりました。
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引用:琉球新報
石垣市は26日、市出身のボクシング元世界チャンピオン、具志堅用高さん(58)の銅像を石垣港離島ターミナルに設置した。除幕式には具志堅さんも参加し、往年のチャンピオン姿を再現した銅像を見て、感慨深く喜びを語った。
引用:琉球新報
ボクシングジムの運営を通じて、次世代の育成に励み、地元のイベントや支援活動にも積極的に参加されていました。
しかし、25年続いたこのボクシングジムですが、残念ながら閉鎖されたそうです。
「世界チャンピオンとして13回連続防衛の記録を持つ具志堅さんは、’81年に網膜剥離を患って引退。その後、飲食店を経営しつつ、タレントへ転身しました。ちょっとズレた発言と愛想のよさでお茶の間の人気者ですが、ジムの会長が本来の顔。タレントとの二足のわらじは厳しかったようです」(スポーツ紙記者)
:引用:週刊女性プライム
具志堅用高さん現役時代はもちろん、引退後も人々の尊敬を集め、「ただの伝説のボクサー」ではなく、“地域のヒーロー”として銅像にふさわしい存在となったのです。

出典:石垣島ツアーズ
伝説の男・具志堅用高の軌跡と記念碑

引用:東スポ
具志堅用高さんは伝説の男と呼ばれていますが、どうしてでしょうか。
その軌跡と記念碑について見て行きましょう。
- 伝説の男と呼ばれる理由
- 栄光の軌跡と記念碑
伝説の男と呼ばれる理由
具志堅用高――この名前を聞いて、まず思い浮かぶのは、圧倒的な強さを誇った“世界王者”としての姿でしょう。
石垣島生まれの具志堅用高さん。現在はタレントとして活躍されているので、彼が伝説のボクサーだったことを知らないという方もいると思います。
引用:沖縄リピート
栄光の軌跡と記念碑

記念碑とともに「記念館」もあり、館内は具志堅用高さんの栄光の軌跡をたどることができるようになっています。

出典:OKINAWA TRIP
具志堅用高記念館に納めてある数々の栄光の軌跡!
しかし、その栄光の軌跡の裏には、想像を絶する努力と、誰からも愛される人柄がありました。
彼はまさに、記録と記憶の両方に残る「伝説の男」です。
【カンムリワシ伝説】具志堅用高さんは今でも強いのか?闘ってみたらほんとうに凄かった!
これから具志堅用高さんの記録と軌跡を見て行きましょう。
1955年、沖縄県石垣市に生まれた具志堅さん。
貧しい家庭環境の中で育ちながらも、「ボクシングで世界を獲る」という夢を胸に、少年時代からトレーニングに励みました。
高校生で始めたボクシング 「神様が出合わせてくれた」(徳島新聞)!
・・・プロに転向で上京 待っていたのは沖縄出身者への差別
卒業後に上京し、プロに転向したのは74年。言葉や文化など、沖縄の人の誇りとするものが否定され、沖縄出身者に対する直接的な差別が残っていた時代だった。
引用:徳島新聞

引用:徳島新聞
画像は「インターハイモスキート級決勝で、右クロスを決める具志堅用高=1973年8月7日、岐阜県」のものです。
まとめ
いかがでしたか。
具志堅用高さんの銅像がなぜ建てられることになったのかを見てきました。
その理由としてボクシングというスポーツにおいて数々の偉業を成し遂げた、それだけにとどまらず人間性、郷土愛なども「銅像」が「伝説の男」としての軌跡を物語っているのです。
地元石垣市には具志堅用高さんの銅像や記念館があり、地元の誇りであるとともに国内外から観光客を感動させています。
ぜひ実際に銅像を見に行って、彼の歴史を感じたいものです。
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