「はい〜!」でおなじみ、お笑い芸人として大ブレイクしたやす子さん。
そのはじける笑顔の裏には、数々の逆境を乗り越えてきた壮絶な半生がありました。
今回は、彼女の生い立ちから現在に至るまでの道のりを追跡し、逆境をチャンスに変えた一発逆転の軌跡に迫ります。
やす子の生い立ちが壮絶すぎる?

さっそくやす子さんの生い立ちをたどってみましょう。
- 幼少期の過酷な環境
- 児童養護施設での生活
- 自衛隊入隊から芸人への道
幼少期の過酷な環境
やす子さんは2歳のときに両親が離婚し、母子家庭で育ちました。
母親は朝早くから夜遅くまで働いていましたが、経済的には厳しく、食事も満足に与えられないばかりか、虐待も受けていたようです。
学校での給食は唯一の栄養源でした。
また、洗濯機がなかったため、シャンプーで体操着を洗ったり、50円で買ってきたパンのミミで夏休みを過ごしたりすることもあったといいます。
12月3日、お笑い芸人のやす子(25)が『坂上&指原のつぶれない店』(TBS系)で、貧しかった幼少期の壮絶な思い出を告白した。 引用元:女性自身
児童養護施設での生活
やす子さんは高校生の時期に18歳まで児童養護施設で生活していました。
施設での生活は、これまでの過酷な環境から一転し、安定したものでした。
例えば、クーラーの涼しさや水を自由に使えること、毎日洗濯ができることに感激したと語っています。
「初めて自分の居場所ができた」と感じるほど居心地の良いものでした。
しかし、何もかも順風満帆というわけでもなかったのです。
高校時代には、人知れず孤独と向き合う時間も多く、特に昼食の時間はつらさを感じる瞬間でもあったそうです。
やす子 児童養護施設、高校では仲間はずれで便所飯…ブレイク芸人までにあった“壮絶半生”
引用元:女性自身
自衛隊入隊から芸人への道
当時は「養護施設にいると100%進学できません」と言われ、夢だった獣医師への道を断念せざるを得ませんでした。
このことが、自衛隊入隊の一因となりました。
また自衛隊に入ることは経済的にも安定し、衣食住も備わっていて「自立」できるチャンスでもあったわけです。
いい決断、いい選択だったのかもしれませんね。
しかし、自衛隊は2年半で辞めています。
その後、やす子さんは上京し、清掃会社に就職します。
しかし、ここで運命が大きく変わるできごとが起こります。
それはとある友人の「誘い」でした。
逆境をチャンスに変えるまでの半生!
いばらの道を歩いてたくさんの労苦を乗り越えたやす子さんに一発逆転のチャンスが訪れます。
それは、友達の誘いでした。
やす子さんはこの友達の言うがまま、片っ端から芸能事務所を訪れたそうです。
そこで即興で芸をやらされるのですが、持ち前のキャラで見事にやってのけるというのです。
こうして、友人の誘いを受けて、2019年9月、SMA HEET Projectに所属し、芸人としての活動を開始したのです。
後編では、SMAとの出会いから、芸人としての道を歩むことになった現在の心境を語る。
引用元:Sony Music
のちに、やす子さんは、「友達にだまされた!はい~!」と、インタビューの中でも言っていますが、この友達の行動があったこと、それに即応できたやす子さんはやはりただではないと断言します。
自衛隊での経験を活かしたネタや、「はい~!」のギャグで注目を集め、瞬く間に人気芸人の仲間入り!
数々の番組出演で分かったのですが、やす子さんは、自衛隊時代でもかなり優秀で、とにかくどこにいても何をしてもどんな場面に遭遇してもやってのける!
それも、幼少時代からの辛苦、それに対するやす子さんの真摯な努力がこうして「桜咲く」の流れを作ってきているのでしょう。
特にどんな大変な予期せぬ場への対応は命がけで臨む自衛隊の時代でとっさの判断力・行動力が培われたものと思われます。
まとめ
現在、やす子さんはテレビやSNSなど多方面で活躍しています。
本記事ではそんなやす子さんの壮絶な生い立ちについて見てきました。
幼少期に親の離婚がもとでたいへんな苦労をされましたが、いろんな人との出会いで逆境をチャンスに変えることができ、今や話題のお笑い芸人です。
特に自衛官時代のネタはレアなケースなのでいつまでも話題に上っているようです。
余談ですが、最近、自衛隊絡みの国会質問でやす子さんの名前が挙がっていました。
ご多忙の中、慈善活動(24時間テレビ出演)にも頑張っておられます。
今後の活躍を楽しみに見守りたいです。
コメント